レトロ自販機が好きです。
何というのか?レトロ自販機のやれ感がとっても好きです。
破れ感(やれかん)ってわかりますか?
元々、やれ=印刷用語のようです。やぶれた紙の印刷物っていうのか
でも、私の使うやれかんって言うのは違って
この「やれ感が素敵」って感じで使います。
なに?
ってなりますよね。
やれた感じ=とても大切に手入れされた感じのRedwingのブーツ
すごく大切にされていても、どうしようもない破れが出てきてる。でも何とかなってるって感じの「やれ感」が好きです。
時代的に倉敷の片田舎で生まれ育った私としては、ちょうど中学生になった頃、産業道路的な道が太くなって村の道路にもドライブインができてその隣に24時間食べることのできるニッシンのカップヌードルの自販機が置かれました。
もうそれは画期的で自販機でカップヌードルを買ってお湯を注ぐ事ができてプラスティックでできたフォークで食べる事ができる。それも深夜にですよ。
村は静まり返り道路を行き交う車もほんの少しの時代にドライブインの片隅に行くと深夜に暖かいカップヌードルが食えるって、こんな素敵な事があって良いものか!って時代です。
確かにたまにプラのフォークがなくて焦ったこともありました。でも、たしかに深夜に食えるニッシンのカップヌードルの美味しかったことは間違いありません。
そしてまもなく、うどんやそばがプラの丼で出てくるようになってホットサンドやハンバーガーまで暖かいまま出てくるようになりました。
今ではコンビニが24時間開いていて当たり前だけど、私が中坊の頃はどっこも閉まってた。普通に7時ごろには近所のお店は閉まってた。それ以降開いてるのは肉体労働者の飲み屋くらいだった(その頃はスナックとかは知らないから)
それでも11時ごろには村は閑散としていて、県道を走るトラック野郎たちがたまにいるくらいだった。
まあ何にせよ。それから50年くらいは経ったわけで、それでも当時のまま動いてるレトロ自販機は凄い「やれ感」満載なわけで、とても大切にされて使い古された感じもいいと思うわけで、何やら郷愁を誘われて、未だに情報を聞くと行ってみたくて味わってみたくなる品物には違いない。
今回春の嵐が吹き抜ける中
小見川の24丸昌さん
オートパーラーシオヤさんをはしごさせてもらいました。
まだまだ現役で夜遊びしていた時代に記憶だけも戻しても欲しいと願います。